赤い羽根活動記録
縁あって、震災直後から石巻市北上町十三浜の相川地区災害対策本部に入り主に相川・小指地区の支援を行なってきました。普及から復興へ向け現地の声に耳を傾けながら多くのボランティアの皆様をコーディネートし、9ヶ月に渡る多面的な活動を展開しました。これからも引き続きこの地との関わりを深めながら、未来に向けた地域活性に寄与できれば幸いです。
@チェンソー作業


活動のきっかけは、打ち上げられた木材、横倒しになった瓦礫、危険木の伐採、そして被災した家屋の解体作業に山の人間の助けが必要だったことにあります。木材は割って炊き出し用の薪として使われました。初期段階での山の男たちのお力に大変感謝しております。
Aがれきの撤去作業


活動当初、民地への立ち入りが制限されており、河川も津波の影響でほとんど埋まっていました。水の流れを保つ程度に重機が瓦礫を道端に上げていきます。対策本部と協議して河川を中心に活動を開始することになりました。最初に応援に入ってくれたのは隣町の山形県の若者たちです。それから、東京のNPOがボランティアバスを仕立て計8回のがれき撤去ツアーを実施してくれたのです。他にも関東、関西、近畿と遠方より単身で来てくれた方々に意義のある活動を提供できるよう努めました。
Bボランティアセンターの設置


この地区はアクセスが悪くボランティアが集まらない場所でした。そこで、当法人は建物の持ち主に交渉しボランティアセンターとして借り受け受け入れ態勢の整備を始めました。ビッシリと詰まった瓦礫を建物の外に出して、最初はブルーシートで囲っただけの場所でしたがまわりの土砂を取り除き、仮設トイレも登場し機能的な宿泊施設として大変お世話になりました。

内部には、組手什という間伐材で作られた棚を設け、支援物資の保管や備品をストックしています。

バスツアーのボランティアの休憩所、お昼の炊き出しとして、時には、地域内外の交流会場としても利用されました。

B農園づくり作業(小指の郷)


瓦礫だらけの田んぼがそば畑として生まれ変わり秋には見事に花を咲かせました。
(相川の郷)


相川地区は共同農園として親しまれ収穫した野菜は仮設のみなさんに配られました。現在も多くのボランティアの皆さまのお力のおかげで農園が拡張されております。
C被災木の活用(材料編)


山際には津波の影響や搜索の為に切り倒された原木が無残にも残されていました。山のNPOが培ってきたノウハウを利用してまずは木材に加工しようとボランティアが集まりました。移動式の製材機を現場に持ち込み、がれき処理の重機に手伝ってもらいながら、第一弾としてお世話になっているボラセンの物置を建築しました。震災以降スクールバスで通っている子供たちにバス停を作って欲しいという地元からの要望がありバス停留所が完成しました。更に相川にも停留所らしき物を建てさせてもらいました。


(炭焼き編)
木材にならない部分を移動式の窯を持ち込み炭焼きを行いました。珍しさに皆さんが集まってきます。これもコミュ二ティづくりのひとつなのかもしれません。

D支援物資

時々のニーズに応えた支援物資を調達、また配布のお手伝いも大切な仕事でした。
必要なものを必要な人たちに届けることが一番!お茶碗が真っ先に仮設住宅に届き、支援物資として配布されないアイロンをフェイスブックを利用して取り寄せました。
E桜の木の移植

津波で全ての木が流されてしまった相川の浜に七ケ宿から桜の木が贈られ地元の子供たちも混ざって大賑わいの植樹祭を企画しました。
Fそば振る舞い

そばの収穫にあわせてそば振る舞いを企画しました。用意していたお蕎麦は心配をよそに無事完食。長く元気でそんな思いが伝わりました。
G七五三記念撮影
横浜の美容専門学校の先生たちが被災した子供たちひとりひとりのサイズにあわせて衣装揃えヘアメイクから着付けまですべてを提供してくれました。

Hこころや体のケア
避難所や仮設住宅にはいろいろな形でボランティアが入ってきます。そのボランティアさんたちをしっかりとリードするのが僕らの役目でした。


Iやはり最後は交流でした
ボランティア同士の交流、そして被災者のみなさんとボランティアの交流がどんどんつながって行きます。この地区の方がおっしゃっていました。「私たちはいろんなものを失ったけれどたくさんの出会いをもらった。家族が増えたような気持ちだ」と、、、
これからも時間を作って可能な限り力になりたい。こころからそう思います。活動の支援をしていただいた皆様に感謝しています。本当にありがとうございました。